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化学用語解説

2018.02.02

塗料の歴史②

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洞窟壁画

洞窟壁画といえば、アルタミララスコーが有名ですが、現在発見されている洞窟壁画の中で最古とされているのは、1994年に洞穴学者ジャン=マリー・ショーヴェによって発見されたフランスの「グロッテ・ショーヴェ」です。(発見者の名前にちなんで名づけられた洞窟です)
この洞窟は、約3万2000年前に描かれたと言われています。

洞窟壁画とはどのようなものか

洞窟壁画は主に、黄色などの色合いの塗料で覆われています。
これらは恐らく動物の血と脂肪とが混ざった粉状の天然色素や、土の色素、酸化鉄や木炭、ベリージュース、ミルクウィードという植物で作られた色のようです。

何が描かれたのか

描かれたのは、狩猟の様子や主に野生の牛や馬、鹿やバイソンなどの動物です。
旧石器時代の洞窟絵画では、そこに人間が登場することは少なく、動物が多い傾向にあります。食べ物に重宝した動物だけではありません。サイのような強さの象徴ともいえる動物や、大型のネコ科の動物、例えば百獣の王ライオンやトラ、ヒョウなども、描かれていたようです。
描かれた絵の意味については、様々な推測がされています。

先史時代の人々は、動物を描くことで魂や精神を「捕まえる」ことができ、そうすることで狩猟の際に簡単に狩ることができると考えていたのかもしれません。
自然物に霊魂が宿り、自然現象はその働きによるとするアメニズム信仰と自分達が生きている周囲の自然への敬意を表しているかもしれませんし、原始宗教の呪術師シャーマンの祈に不可欠なトランスの状態になるのを助ける為かもしれませんし、実際の情報を伝達するためのものであった可能性もあります。
結局のところ、壁画を描いた本当の意味、目的というものは、当時の人しか分かりません。

洞窟壁画と道具、壁画は誰が描いたのか

絵は基本的に洞窟の中でも深いところにあります。
つまり、壁画を描いた人間はランプのようなものを作ってそれを洞窟の内部に置いて壁画を描いたに違いありません。
事実、ラスコーでは約1万7000年前のランプが発見されています。(ランプの芯についていた炭素年代測定による)
このランプは皿状の石の上で動物の脂肪を燃やして、その火を灯りにしたものです。
これと似たような仕組みのものがアルタミラでも発見され、こちらは1万3000年も前のものでした。

また、21世紀初頭、南アフリカの考古学者は、Blombos Cave(ケープタウンから東に約300km離れたBlombosfontein Nature Reserveにある洞窟)で塗料のように使用されていた可能性のある、10万年前の人間が作った黄土色の混合物を発見したと報告しました。その後、塗料を作ると思われる道具の掘削報告も出ています。
加えてBlombos Caveで見つかった壁画は赤や黄色の黄土、ヘマタイト、酸化マンガン、および木炭で描かれており、近年のミトコンドリアDNA分析によれば、6万年前に出アフリカをした5千人から2万人程度のホモ・サピエンス集団(これらの子孫がアフリカを除くほとんどの世界中の人類)でなく、アフリカに残った方の4万年前のホモ・サピエンスによって作られた可能性が出てきています。

 

壁画と宗教

人間が定住コミュニティーを形成しはじめると、絵画は再び宗教的生活の中で役割を持つようになります。
例えば、紀元前6000年頃の初期新石器時代の町チャタル・フユック(Catal Huyuk;現在のトルコ、コンヤ平原を見下ろす高台に位置する新石器時代~金石併用時代遺跡)を見てみましょう。この遺跡で近世に発掘された家の多くは、まるで神社のような作りをしていますが、その家の壁には様々な絵が描かれています。
やはり動物の絵が多いのですが、加えて風景画や人間の死体、大虐殺の絵などもあり、それらは鉱物を原料にして作られた塗料を毛の細かいブラシを使って描かれるようになります。
祭りや、何らかの儀式をする様子、鳥葬ちょうそうと思われる現場の様子を描いたものも見られました。

また、少し話は脱線しますが、この時代の死者の頭蓋骨は儀礼に使われることもあり、そうした頭蓋骨の中には漆喰や塗料で色が付けられ人間を復元しようとしたのではないかと考えられています。

 

色素を求める旅

絵を描くとき、やはり重要になってくるのは色です。

線画 完成品 二極化 色相変更
線画のイラストイメージ 完成品のイラストイメージ 二極化のイラストイメージ 色違いのイラストイメージ

色だけでイメージがガラッと変わります。
デジタルがなかった時代、頭の中の色を再現するためにはそれだけの種類の顔料が必要になります。
様々な色素を再現できるよう、新しい顔料の開拓と、顔料を供給するため、人々はさまよった結果、鉱業が発達したのだと歴史家は言います。

先史時代の全ての洞窟絵画の遺跡にも、赤色顔料として使えるヘマタイト鉱床につながる道があるのです。
鉱物そのものも顔料となりますが、そういった鉱床の土も、成分によって色が違い、顔料として活用されました。
先にも書きましたが、ヘマタイトと呼ばれる鉄の鉱物酸化物が含まれる土は赤く、黄色の顔料になる土には、酸化鉄の水和物が含まれています。
鉄とマンガンの酸化物を含む粘土は、アンバー(琥珀色)の顔料になります。(この粘土がイタリアのウンブリア州から抽出されたので、アンバーという名前になりました)
カーボンブラックは、部分的に燃える木材をもとに、他にも、今は使われていませんが、焼いて炭にした骨を使い黒の顔料としたものもありました。
白はカルシウムから作られました。焼いた骨です。

色は歴史の中で文化そのものすらも彩り、いつの時代も当時の利用可能な資源に応じて世界中で染料と顔料(古代においては顔料≒塗料)が生産されています。

染料と顔料の違い

読んで字の如く、表面にのるのが塗料(色を発色するのが顔料)、中に染み込むのが染料です。

色を付ける、色を使う、という文化は分かっているだけで3万年以上も続いています。
洞窟の壁画こそがその証拠であり、古代中国などでは何万年も前に色の製造と使用を完璧な状態にしたと言われています。

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